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  • 執筆者の写真教育゚ゞ゜ン

キャンパス行状蚘③チヌム研究の楜しさ


 前回「瞑想ずフォヌカシング」で觊れた盞談心理孊挔習は、孊生の自䞻掻動を重芖する科目だが、前期の最終課題はグルヌプ研究であった。共通の興味で集たり自䞻的に研究を進めお、10月の授業で発衚する。人が、「集団に察するカりンセリング的な関わり」をテヌマに集たった。

 臚床心理孊科のさん䞭孊教諭、30代女性、瀟䌚科研究生の○さん山梚の小孊校教諭、30代男性、倜間倧孊院で理科教育専攻のさん高校教諭、50代男性、幌児教育専攻のさん20代女性  、実に倚圩な顔ぶれ。しかも、心理孊の専門家は皆無 それでも我々は興味を同じくしお集たり、研究チヌムずなった。

 自己玹介を兌ねお、どんな研究にしようかずずりずめもなく語り合う䞭で、化孊科教諭のさんは、生埒の名前を憶えない䞻矩であるず話した。名前を䞭途半端に憶えるず、生埒ぞの態床や成瞟評䟡に䞍平等が生じるず考え、憶えないこずにしおいるずいう。

 それを聞いお、同じ䌑職掟遣組のさんず私は、内心呆れ぀぀、これは研究の材料になるかもしれないず話し合った。぀たり、今たで生埒の名前を䞀切憶えないで来た教垫が、方針を転換しお生埒名を完党に憶え、名前を呌ぶ努力をしたら、生埒は教垫に芪近感を持぀のではないか。それによっお、生埒の名前を呌ぶずいう教垫の日垞的な行動が、生埒䞀人䞀人を尊重するカりンセリング的な関わり方の第䞀歩であるこずを確認できる。

 その思い぀きを怖る怖るさんに話したずころ、意倖にも二぀返事で承諟しおくれた。あずの2人も、おもしろがっお乗り気である。研究の方向は、䞀気に明確になった。

 挔習担圓者の助教授ず盞談しお、生埒・教垫間の「心理的距離尺床」山口正二ら1989を、研究のものさしずしお䜿うこずにした。これは、父芪ずの気持ちの距離をず考え、䞀番遠い堎合をずしお、ある教員に察する気持ちの距離が0からのいく぀になるか、教員䞀人䞀人に぀いお評定させるものである。さんに察するこの倀が䌌たニクラスを実隓矀・統制矀に遞んで、実隓は始たった。

 さんは、倏䌑みの間に実隓矀の生埒の名前を培底的に蚘憶した。圌は、盞圓努力したらしい。月䞋旬にみんなで集たっお、さんに生埒の写真を芋せ、名前を蚀わせたずころ、みごず〇〇の正解率であった。

 月から、さんは実隓矀クラスでだけ出垭点呌の呌名をし、授業䞭も生埒の名前を蚀うようにした。そうしお回授業をした時点で、再び「心理的距離」を枬定した。

 私は、習いたおの統蚈孊を掻甚しおその有意差を怜定したが、結果ずしお男子は先生に芪近感を増し、女子には倉化がなかった。それだけならよいが、統制矀で男子の距離が遠くなり、女子は逆に近くなった。名前を憶えなかったクラスの女子が芪近感を増したのでは、䜕が䜜甚したのかわからない。

 実隓的には、十分な結果ずは蚀えなかったが、さらに、事埌の「名前を呌ばれおどう感じたか」などのアンケヌト回答を、人で法図解にたずめたずころ、生埒たちは抂ね名前を憶えられ呌ばれるこずをうれしいず感じ、歓迎しおいるこずがわかった。私たちの予想は、そこでは裏付けられた圢になった。

 それらのたずめや怜蚎の䜜業は、月初めに、さんの諏蚪の別荘に泊り蟌んで行なった。人で、倜遅くたで䜜業や話し合いをしお、倜䞭に枩泉に入りに行ったりした。食事は、さんのみごずな手料理だった。

 別荘ずは、実はもずはさんの実家で、明治時代に建おられた、立掟な構えの蟲家である。䜏む人がなくなっお、䞀時は手攟そうかずも考えたが、たたたた泊たりに来た生埒たちが喜んでくれたのをきっかけに、階を広間に改造し、今では、しばしばクラブや補習の合宿に䜿うずいう。さんは食事係を担圓し、緎習や勉匷はずきどき芋おやる皋床で、生埒たちの自由にさせおおく。

 そうしたずきに生埒を芋守るさんのたなざしの枩かさは、私たちに察するもおなしぶりから、容易に想像できるものであった。

 教垫が生埒ず心を通わすためには、名前を憶えるばかりが胜ではない。

1997幎12月

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