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  • 執筆者の写真教育エジソン

作家の責任(映画『催眠』と小説『千里眼』)


 映画『催眠』の公開と前後して、『催眠』の続編と言われる松岡氏の小説『千里眼』が出た。映画を見た後で、これは期待して読み、そして、期待は裏切られなかった。

 元自衛隊の戦闘機パイロットという異色の経歴を持つカウンセラー岬美由紀が、催眠技術や臨床心理学の知識を駆使して、カルト教団のテロに立ち向かう。次から次へと直面する課題を知的に解決していくスリル。その一方で不登校の少女をはじめクライアントたちを思う、カウンセラーとしての愛情と使命感。それが、彼女を駆りたてる力となって、とくに後半のダイナミックな展開と大胆な行動を納得いくものにしている。

 やはり、松岡氏の執筆姿勢は変わっていない。血なまぐさい描写で気を引かない。人間への温かいまなざしを保つ。それは『催眠』と第2作『水の通う回路』に一貫していたが、『千里眼』は、その姿勢を堅持しながら、いっそう優れたエンタテインメントとして結晶している。おもしろければいいじゃないかとばかり、作者の人間観がゆがんでいるとしか思えないストーリーが横行している昨今、ヒューマンな姿勢を貫いても、こんなにおもしろい小説が書けるのだという、力強い見本である。

 そして、この小説にはもうひとつ、私をうならせるみごと仕掛けがあった。実は、この本を手に取る前に、松岡氏のホームページで前評判を読んでいた。それによると、この小説には、映画『催眠』の種明かしが挿入されているという。期待して読み進んでいくと、物語の後半、それは出てきた。ある刑事の回想で、映画『催眠』の内容を彷彿とさせる過去の事件が語られる。それを聞いた岬美由紀は、「後催眠暗示による自殺」など不可能であることを強調する。しかし、ある特殊な条件が加わることによって、それが可能になる場合もあることに気づき、それが、彼女の直面している謎のひとつを解く鍵になっていく。

 その「特殊な条件」をここでは明かさないが、それは科学的にも納得の行く説明になっている。ホームページに寄せられた感想を読むと、これを松岡氏一流の読者サービスと見る人が多いようだが、私はそうは思わない。

 映画『催眠』のストーリーは、松岡氏の本意を無視した落合監督が、いわば勝手にしたことである。にもかかわらず、松岡氏はその設定を引き受けて、そこに科学的な裏づけを与えている。それによって、「後催眠暗示による自殺」など、通常は不可能だということをあらためてアピールしている。映画は映画として受け容れつつ、間違いはきちんと正していく。松岡氏はこういう形で、原作者としての責任を最後までとろうとしているのではないか。映画には恨みなしとしないが、松岡氏のこうした姿勢には、エールを送りたい。

 『千里眼』の映画化はぜひ、もう少しまともな監督に……と、願うばかりである。

1999.9.

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