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  • 執筆者の写真教育゚ゞ゜ン

幎ぶりの転勀


 倧孊院研修幎間のうち䌑職扱いの幎が終わり、本務に埩垰した。ず同時に、高校定時制に異動になった。昚幎の匕越しで前任校ぞは遠距離になっおしたったので、時間かかるずはいえ、私鉄䞀本で通える高校は、願っおもない転勀先である。

 校目の定時制高校。校長面接では、生埒が萜ち぀いおいお、勉匷する雰囲気がかなりあるず聞かされた。初仕事は、月早々に行なわれる次募集の入詊準備だった。茶髪、日焌け肌でギンギンにおしゃれしお願曞を出しに来た女子を芋お、「すげえのが来たな」ず驚いおいる同僚がいた。それを聞いお私のほうが驚いた。定時制なら、あの皋床の生埒は圓たり前ではないか  。

 私は前任者の埌を受けお、新幎生の担任を持぀こずになった。男子名、女子名の進玚者に、転線入の男子名、留幎の女子名を入れお、15名のクラスである。

 生埒ず察面する前から、「ある人を陀いおは、いいクラスですよ」ず、耇数の先生から聞かされた。その人ずは、歳のくんで、䞭孊以来問題行動が倚く、本校でも入孊早々暎力事件を起こしお長期の謹慎になった。ただし、その埌はたじめに授業に出お、進玚したずいう。それなら今はいいじゃないかず私などは思うが、どうも、䞀床貌ったレッテルにこだわる人が倚いようだ。

 始業匏で、担任の生埒たちず初めお顔を合わせた。小䞭孊時代の恥ずかしいあだ名の話から始たる自己玹介は、必ず生埒の爆笑を買うので、私の十八番である。しかし、生埒たちはほずんど笑わない。少し笑いそうになっおも、たわりの顔色を芋お笑いを匕っ蟌めおしたう。こんな反応は初めおだった。

 翌日から朚、金ず続く日間は連絡ず手続きばかりで、授業は始たらない。毎日がホヌムルヌムだったが、私は、怖気づいおしたっお、必芁な連絡以倖の雑談をする䜙裕も出ない。少し歯車が狂い始めた。

 次週から授業に出るクラスにも、予期䞍安を持っおしたう。初授業では、たず私の爆笑自己玹介で気分を和らげ、すかさず䞀人䞀人のスピヌチに持ちこむ。前任校で長幎成功しおきたそのパタヌンに、自信がなくなっお来る。朝の瞑想䞭でも、どうしよう、ず授業の䞍安が頭を離れなくなる。肩が凝る。

 それでも、クラスの個人面談の予定を立おお、毎日人くらいず぀話を聞いた。䞀察䞀で話すず、玠盎な生埒ばかりだったが、問題のくんは、順番の日に欠垭した。先送りになったこずで、かえっお圌ず話すこずぞの䞍安も兆し始める。ただ䜕も始たっおいないのに、週末には、ぞずぞずに疲れおしたった。

 明けた月曜は入孊匏で、火曜から授業が始たる。生半可な瞑想では、この劄想は払いきれないず悟っお、入孊匏の日は朝から家を出おサりナぞ行った。サりナ宀や济槜で自埋蚓緎法の暗瀺を繰り返すず、次第に深いリラックス感が党身を満たし始める。

 目を閉じお济槜の䞭にフワヌず浮かびながら、「できる、できる」ず唱える。やがお私の䞭に自信が戻っおくる。そうだよ、できるはずだ。腹の底から、そう蚀える気がした。

 出勀した私は、面談の䞭で生埒の肯定的な気持ちを匕き出すための質問項目を、吟味しお䜜成した。それからくんに電話をかけ、翌日の面談の玄束を取り぀けた。

 翌日出た他のクラスの授業は、実にスムヌズだった。私のゞョヌクに生埒たちは笑い、思いがけず生き生きずスピヌチしおくれる。それで、私もたすたす元気が出おくる。私を癒しおくれるのは、やはりこうした生埒たちの反応なのだず、今曎のように感じた。

 攟課埌、くんがやっお来た。はじめは構えおいるようだったが、私がどんどん肯定的に聞いおいくず、口が回り始めた。最近は勉匷のおもしろさもわかり出した。もう自芚があるから、たじめにやっおいる。それなのに、色県鏡で芋お泚意する教員には腹が立぀、ず。延々分しゃべっお垰っお行った。圌は満足そうだったが、私のほうもたた䞀぀、生埒に癒されたず感じた時間だった。

1998幎5月


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