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  • 執筆者の写真教育エジソン

旅のイメージ記憶


 イメージの応用は限りなくあるが、私が最も好きなのは、旅のイメージ回想である。

 私の瞑想には、海や、森や、渓谷、古い寺、ひと気のない漁村などがしばしば登場するが、それらは、実際に旅で見た風景が原型になっていることが多い。

 日常を離れた旅の印象が鮮やかに記憶に残るのは、誰しも経験することであろう。しかそう記憶を強めることができるのはむろんのこと、経験そのものをもっと楽しく、深いものにすることができる。そのこつは、全身で、その風景に浸ろうとすることである。

 先日、鬼怒川温泉のはるか上流、奥鬼怒の山間にある日光沢温泉に一人、投宿した。バスの終点から、一時間半あまり歩かなければたどり着けない、古びた一軒宿。露天風呂は谷川に沿い、断崖に面する、白濁した硫黄泉である。

 私の温泉瞑想については、前に書いた。湯にはいったり出たりして瞑想をくり返し、心身を徹底的にリラックスさせる。ただはいっているだけでも気持ちがいいが、これをすると、温泉の楽しみが何倍にもなる。

 すっかり堪能して、夜九時には、床についた。翌朝、さらに奥にある鬼怒沼まで足を伸ばすために早起きしようと思ったからだ。

 ぐっすり眠って、ふと暗闇の中で目覚めた。時計を見ると午前三時。ふだん五、六時間の睡眠で暮らしているせいで、体が自然に起床サインを出してしまったようだ。何気なく窓の外を見ると、満天の星々が目に入った。昨晩は雲が多く、日没後の残照も後を引いて、星はほとんど見えなかった。それが、雲は吹き払われ、空は晴れ渡っている。

 私はとっさに思いついて、タオルを手に、露天風呂に通ずる階段を下りていった。

 小さな電灯に浮かび上がる湯殿に、谷川のせせらぎだけが聞こえる。白い湯に静かに身を沈め、仰向いて空を眺めた。あちこち旅に出ても、案外見ることのできない、漆黒の空じゅうを埋め尽くす、無限の星くず。

 目を開いたまま、いつもの要領で全身に自己暗示をかけ、イメージでツボを指圧して、深いリラックスにはいる。この星空を私の脳の奥深くまで、しっかりと染み込ませよう。そんな気持ちで、ゆったりとして眺める。大宇宙の中で、ちっぽけな湯舟の中に、ちっぽけな男が一人、首を出している。

 あ、星が流れる! と思った瞬間、流れ星の方は止まったまま、宇宙全体が、かすかに地滑りを起こしたような気がした。

 翌朝も、山道を歩きながら、くり返しその星空を思い浮かべた。同時に、体のリラックス、のびのびとした気持ちがよみがえる。

 これで私は、目を閉じて思うだけで、いつでもあの白い湯につかり、あの星空を眺めることができる。

1995年10月

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