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  • 執筆者の写真教育エジソン

ボランティアのエンカウンター


 平成23年、東日本大震災が起きて初めての夏休み、被災地の復興ボランティアツアーに、高2の息子と2人で参加して来た。車中1泊、現地2泊3日の団体ツアーだが、中味はボランティア活動であり、岩手県の旅行会社が企画しているので、少しでも被災地にお金を落とすことになれば、と選んだ。

 金曜の夜に深夜バスで出発し、翌朝、岩手県内に入った。添乗員の男性は岩手の人だが、内陸部に住み、津波に呑まれた沿岸部の様子は、自分も初めて見に行くと言う。気がかりだが先延ばしにしている。被災県の内陸部の人たちの複雑な思いが伝わってきた。津波で破壊された釜石の工場地帯を窓外に眺めて、やがて目的地の大槌町に着いた。

 かつて町があったという場所は、広場のようになっていた。よく見ると、家々の土台だけが残っている。大槌町は津波のあと火災にも見舞われたので、復興本部として使われている小学校の校舎もあちこち焼け焦げた痕が生々しかった。それでも、震災から5ヶ月、外形を留めた鉄筋の事務所や住宅なども、津波に洗われた内部はすっかり片付いて、中は空っぽだった。瓦礫や残骸の撤去作業は一段落ついたようで、私たちに割当てられた仕事は、川の泥さらいだった。

 津波のヘドロで埋まってしまった川底を掘り、ヘドロを砂袋に詰めて運ぶ。天然記念物の魚イトウの棲む清流を取り戻すのが目的だが、水を含んだ泥は重く、思いのほか重労働だった。ツアー参加者は、27名で中学生から50代後半の女性まで年代は幅広い。若い男性がスコップを持って川に入り、川岸に女性や中年男性が並んで砂袋をリレーする。息子も泥まみれになりながら、砂袋を運んでいた。

 作業をしていた川の前は大槌中学校だった。目の前に見える体育館は、震災当時、遺体安置所であったという。校庭にはまだ、ひしゃげた自動車の残骸が一面に並んでいた。

 1日目の作業を終え、公衆浴場に寄って汗を流し、宿舎である遠野のふるさと村に着く。移築されている古民家「南部曲がり家」に、男女が分かれて宿泊した。男たちの寝る棟では、売店でビールを買い、自然に宴会となった。みな、被災地のために何かできないかという思いで参加している。遠くは沖縄から来ている高校教師もいた。

 2日目は、陸前高田市へ向かった。沿岸に広がっていたはずの、大きな街並みがそっくり消え、広大な平地と化していた。遠くに、「奇跡の一本松」の姿が痛々しく見えた。

 街外れにある田んぼを復旧させるため、雑草を刈り、瓦礫を取り除くことが、私たちの仕事だった。時おり小雨がパラつき、雨合羽を着た。田んぼの中には、家々から流されてきたさまざまな生活用品が埋まっていた。毛布や椅子もあった。おもちゃや文具もあった。すべては日々の生活の証しだった。

 流されてきた家の柱が折り重なって、用水路をふさいでいた。それに気づいた1人の発案で、総出で泥を掘り、男たちが力を合わせて柱を持ち上げた。水路が開き、水がざあっと流れ出した瞬間、拍手と歓声が沸いた。

 2日目の作業を終え、公衆浴場に向かうバスの途上で、青空に紫とオレンジが複雑にグラデーションしたきれいな夕焼けが見え、背後には大きな虹も出た。仲間たちは窓ガラスに寄り合い、空を眺めて感嘆の声を上げた。みんなで一日がんばったご褒美だねと口々に言い、仲間たちの気持ちがひとつになった。

 その晩は、男棟に女性たちも合流して、大宴会となった。一人ひとり、順に参加の動機や思いを語る。息子も立って、自分の気持ちを素直に話していた。この場を体験させられたのもよかったと、父親はつくづく思った。

 この前年の夏休みに、私は、「構成的グループエンカウンター」の2泊3日講座に参加した。翌年も参加するつもりでいたが、震災ボランティアを優先した。結果としてこのツアーで、参加者同士の自然なエンカウンター(本音の心の交流)を体験することができたと思う。

2012年11月

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