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  • 執筆者の写真教育エジソン

友を喪って① 不思議な縁

更新日:2020年9月27日


 昨年の9月、かけがえのない友を喪った。

 群馬県立N高校の国語教師であった、NJさん。

 通勤途上の交通事故で亡くなられたと、彼のお姉様から電話をいただいた。信じられず、そして、切ない気持ちでいっぱいになった。とうとう私たちは、この世でたった一度きりしか会うことができなかったのだ。

 1998年、函館の北海道教育大学で行なわれた日本教育心理学会第40回総会。口頭発表を終えて席に戻った私に、声をかけてくれた。私の発表テーマであった「カットイメージ読解法」にとても興味を持ってくれた様子で、私たちは、国語教育の現場で日ごろ感じていることを、共感とともに語り合った。

 私は、現職大学院研修の2年目、定時制の現場に復帰して、東京学芸大で修士論文の準備を進めていた。彼は、高校国語教師の職を辞して東北大大学院で学んでいると言う。

 それから、メールと電話と手紙のつきあいとなった。

 翌年、私は大学院を卒業した。毎年、教育心理学会の発表は続けるつもりでいた。翌年、彼も大学院を修了し、故郷の群馬に帰って、県立高校に再就職できたという。電話で互いの近況報告をしながら、一度、群馬のどこかの温泉宿に泊まって、ゆっくり語り合おうなどと話した。

 その年2000年の教育心理学会は、東京で行なわれた。彼も発表応募したことは聞いていたが、事前に送られてきた発表論文集を見ると、私たちの論文は隣合せに掲載されていた。彼の研究は、小説のイメージ化教示によって登場人物の心情理解が促進されるというもので、私の研究ととても関連の深いものになっていた。

 しかし、直前に彼から電話があり、新採教員としての初任者研修のため参加できないと言う。駒場東大のポスター発表会場で、「発表辞退」という紙が貼られた彼のボードの前に立って、とても寂しい思いを味わった。

 翌年の愛知の学会でも、私たちのポスターは隣合せだった。内容が近いから当然である。しかし、今度は私が、個人的な事情で参加できない。―― そんなすれ違いのくり返しで、年は過ぎていった。

 昨年になって、彼から電話があった。東北大の恩師を中心に「日本教授学習心理学会」が創設され、第1回総会が6月にあるというお誘いだった。私は、入会の希望はあるが、六月では、総会に出席する余裕はないので、その旨を伝えた。久々に聞く電話の声であったが、親しい雰囲気は変わらない。

 総会直前に、「これから総会に行ってきます」というメールをもらった。その結果報告を聞きたいと思い、メールするのが延び延びになっていた矢先、思いがけない訃報に接した。

 告別式には伺えなかったが、後日、妻子を連れて、ご自宅に伺い、彼の論文原稿や蔵書も見せていただいた。彼の修士論文自体は、初めて見るものだったが、太宰治の『走れメロス』を題材に、イメージ化を促す指導が、登場人物の心情理解促進に有効かどうかを調べている。私の修士論文を、大幅に引用してくれている。やはり、私と同じ問題意識を持ち、私とのやりとりで、自分の研究テーマを明確にしてくれたのだと思われた。

 蔵書を眺めると、私の関心と重なるところが多いのに驚く。私が入手できずにいたイメージ研究の基本文献もあった。背表紙を眺め、手にとってめくっていると、傍に彼がいて、語り合っているかのような感覚に陥る。

 ふと見ると、机上のパソコンまで、私のものと同じ機種である。二人とも、そうとは知らず、誂えたようなお揃いの機械に向かって、メールをやり取りしていたのだ。

 私たちは、もっともっと語り合って、楽しい時間を過ごせたはずなのに。共感し、通じ合う喜びを味わい、互いに深く啓発し合えたはずなのに……。喪われた時間を惜しんで、無念の思いがこみ上げた。

2006年11月

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