top of page
  • 執筆者の写真教育エジソン

小2の息子と新しい家庭

更新日:2020年9月27日


 私が相手に求める条件の優先順位第2位は、「子供を受け入れてくれること」だった。

 それどころか、子供好きで子供のない彼女は、子供のいる男性を求めていたと言う。既に4度目のデートは子連れだったが、小学校2年の息子は彼女とすぐになじみ、会うのを心待ちにするようになった。

 息子には、私が離婚したことは事前に話しておいた。たまにしか会わない母親との関係を自然に受け入れていた彼は、事実を素直に理解してくれた様子だった。しかし、いざ再婚の話をすると、第一声は、「いやだ、お父さん、結婚しないで」だった。「おじいちゃん、おばあちゃんと別れたくない」と、涙ぐんだ。

 実家に同居してまる5年。年老いた両親には、ほんとうに世話になった。とくに、私が子供を抱えながらも、好きなように仕事や研究活動ができたのは、母が親身に世話をしてくれたおかげだ。母は学歴はなくとも、自分で本を読んで学び、考える人なので、息子への接し方は賢明である。私はいつでも安心して任せることができた。

 息子にとっても、物心ついてからつねにそばにいてくれる家族は、祖父母だった。息子の涙の訴えは、身に染みた。私はあえて説得することはせずに、自分が結婚したい気持ちをありのまま話すに留めた。

 彼女は、群馬の病院を辞めてこちらへ来ることを快諾してくれたので、実家の近所に狙いを絞って、住む家を探した。最初は少し苦労したが、物件をいくつも見て目が肥え、自分たちの要求がはっきりしてきたころ、希望に合う中古住宅が見つかった。実家から、歩いて3分の距離だった。

 祖父母と遠く離れないで済むことがわかると、現金なもので、とたんに息子は引越しの日を指折り数えるようになった。

 8月中に家のリフォームは済み、彼女の仕事が辞められるまで、ときどき新居に3人で泊まりに行った。家具もないがらんとした部屋の床に座り、ダンボール箱の上で食事をした。10月になって、晴れて引越しを済ませ、3人の新生活がスタートした。

 毎日、息子は彼女のことを「小○ちゃん」と呼ぶ。それが、メールで知り合ったときにハンドルネームだったのだ。人前でも大声で「小○ちゃん!」と呼ぶので、恥ずかしく、母親という意識がないのかなと2人で話し合った。しかし、あるとき、友達に彼女を会わせるのに「何て紹介するの?」と聞いたら、「ぼくのお母さんです。でも、ぼくは小○ちゃんと呼んでいます」と口上を述べた。それを聞いて、あとで2人して涙ぐんでしまった。

 そんな新しい我が家には、いつも笑い声が絶えない。私にとっても息子にとっても、聡明で、明るく、優しい彼女の存在は、神様の恵み以外の何ものでもない。

 この恵みに、私は何を返せるだろう。40代半ばを迎え、これからの人生で自分が果たすべき「使命」を想うこのごろである。

2002.12.

閲覧数:3回0件のコメント
bottom of page