教育エジソン

1998年8月1日3 分

能動的聞き方の力 1

 相手の立場で徹底して話を聞き、「ふうん。そう言われて、きみも困ってしまったんだね」などと、理解した内容を相手にきちんとフィードバックする。Positive Listeningは、C・ロジャースの非指示的カウンセリングの重要な手法のひとつであるが、私自身は、トマス・ゴードンの『親業』、『教師学』における「能動的聞き方」としてそれを学んだ。その結果、私が受けてきた恩恵は、量り知れない。

 現場で10年あまり、能動的聞き方を徹底して実行して来たが、こちらが真剣に聞くほど、思いもかけない解決策を生徒自身が見出していく姿に、何度も感動させられた。

能動的聞き方の根底にあるのは、相手の中に潜在している責任意識と問題解決能力への深い信頼である。彼が自分で解決せねばならない、彼自身の問題に対しては、余計な助言よりもまず、先入観を排して彼のことばに耳を傾けて行く。その真摯で温かな援助に支えられて、やがて、彼は自分なりに問題を整理し、解決の道を見出していくのである。

 留年して私のクラスに編入されたが、ほとんど登校しない男子生徒に、私はしばしば電話をかけたが、いつもつかまらなかった。

 あるときたまたま電話が通じて、話すことができた。彼は、仕事に専念するから、学校は辞める、と言った。ほとんど話したこともない私に警戒している様子で、それ以上踏み込んでほしくない態度であった。しかし、私は、それだけで彼との意思の疎通をあきらめる気にはならなかった。私は意識的に能動的聞き方を使い、彼の気持ちを汲みとって、フィードバックをくり返していった。

 すると、突然彼の態度が変わりだした。仕事に専念するというのは、自分の不注意で起こした交通事故の賠償をしなければならないためであること、親にかなりの額を立て替えてもらっているのも心苦しく、昼夜働いて、少しでも多く稼ぎたいのだと語った。話の内容とは裏腹に、彼の声の調子は次第に明るくなった。迷っていた気持ちにも、踏ん切りがついたようだった。

 その後、退学届を出しに来た彼は、終始にこやかで、「お世話になりました」と、深々と頭を下げて帰って行った。

 教師にできることは限られている。その限界の中で、精一杯のことをしなければならない。だが、何か助言をすることが教師の務めだと、多くの教師が考え過ぎていないか。

 ある女生徒は、自分が長年世話になった仕事先をやめて、転職しようかと迷い、私のアドバイスを求めに来た。「ね、先生ならどう思う? そこのところを聞かせて欲しいんだ」と、しきりに言う彼女に対して、私は、彼女自身の気持ちを話すことを求め、矛盾していることも揺れていることも、すべてありのまま受けとめて、返していった。私の聞くところでは、彼女は新しい職場に魅力を感じながらも、現在の職場には不満半分、強い愛着を持っているように感じられた。結局は今の職場をやめたくないのだろう。

 しばらく話して、それでもアドバイスをと懇願する彼女に、「もうきみは自分で結論を出していると思うけどなあ」と言うと、「じゃ、私がどっちに決めていると先生は思うの?」。私は思わず、「やっぱりきみは、今の職場を辞めたくないんじゃないのかな」と、自分の考えを口にした。すると、彼女は「うん、わかった」と満足そうにうなずいて帰っていった。

 数日後、彼女は「やっぱり、今の仕事やめて、新しいところに行くことにしたから」と、さばさばした調子で報告した。結局、彼女は私の発言とは関係なく、自分で考え、自分で決めたのだ。あれほどにアドバイスをしてもらいたがった生徒にしてこうなのである。

 もっとも、これには後日談があって、数ヵ月後、彼女はまた元の職場に戻ったと言いに来た。私の読みは、確かにまちがってはいなかった。しかし、自分の本心に合った結論を受け容れるために、彼女はいったん、別の道をとる必要があったのであろう。そういう心の変化の道筋は、彼女が自分で手探りしながらたどっていくものであって、他者である教師に口出しできることではないのである。

1998.8.

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