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  • 執筆者の写真教育エジソン

キャンパス行状記①学生生活再び

更新日:2020年9月27日


 武蔵野にある東京学芸大学のキャンパスは緑が多い。「参道」の桜並木を抜けて正門を入ると、中央の噴水池を囲んで何本ものケヤキが空高く枝を広げている。噴水は一度も出ているのを見たことがないが、浅い池には水が湛えられて、ケヤキの青葉がちらちらと反映する。周りには腰掛けられる石段やベンチもあって、学生たちの憩いの場所になっている。すぐ脇に図書館があり、調べものの帰りにベンチに腰を降ろすと、空が青く晴れた日には、風が高い梢を渡って、木漏れ日とともに、さわやかな葉ずれの音が降り注ぐ。

 現職教員の派遣制度ができて、大学院で心理学を学びたい、という長年の願いが現実味を帯びるようになったとき、私は具体的目標を学芸大学にしぼって、そこでの大学院生生活を、くり返しイメージした。そのときもっとも鮮明に心に浮かんだのは、ケヤキに囲まれた、この噴水他のほとりの風景だった。大学院生としてのノルマに追われる日々のなかで、ふと立ち止まりふり返ってみると、かつてイメージの中で願ったことがこうして現実となっている不思議をしみじみと感じる。

 修士課程の心理学系の講座には、私の属する教育心理学第1分野(学習心理学)のほか、同第2分野(社会心理学・教育評価)、発達心理学、臨床心理学、心理臨床があり、どの講座の科目を履修しても構わない。それどころか、教科教育など他の専攻の科目をとることにも制限はない。また、夜間大学院の科目を取ることもできる。私は、最初の授業に出てみて、自分の興味を中心に前期は9科目、後期は5科目を選んだ。それで、卒業に必要な30単位以上のうち、28単位がとれ、残りは修士論文の4単位だけとなる。

 前期9科目のうち教育方法学特論という科目以外はすべて、心理学系の科目である。学習心理学の科目が2つ、臨床心理学と心理臨床(両者の違いはカレーライスとライスカレーだと、ある教授が言っていたが)が合わせて5つ、測定・評価の科目が1つ。まさに希望通り、心理学三昧の日々を過ごしている。

 私の指導教官は、学習心理学のKY教授に決まった。53歳、やや太めの体型で、薄くなった白髪まじりの髪を長めに伸ばし、度の強いメガネをかけている。気さくな雰囲気で、ものにこだわらず、颯々として、いつもにこにこ笑っている。心理学の主任教授格でありながら、入試のときも、入学式のときも一人で出てきて、試験監督やガイダンスをやっていた。まめで世話好きの印象である。

 学習心理学の分野では、生徒の学習スキルや教師の授業スキルを中心に幅広い研究をされている。今年の大学院の講義では、教室の非言語コミュニケーションを扱っているが、表情豊かで話がうまく、飽きさせない。講義内容にたがわず、優れた教え方の手本を、身をもって示してくれる授業である。

 自宅が福島にあり、半分単身赴任で毎週自宅に帰る生活のため、大学におられるのは、週3日ほどである。そめため、先生の出勤日には、学部4年生から博士課程の学生まで、論文指導のための訪問が絶えない。先生は、その一人一人の学生に、実に親身に指導をする。そぱで自分の作業をしながら、何となく耳を傾けていても、参考になることが多い。

 自分の修士論文の準備は夏休みから始めよう、とのんびり構えていた私にも、「文献リストを作れ」とか「夏休み前に一度実験をやって、データを採ってみたらどうだ」など、次々と発破をかける。「カットイメージ読解法」などという自己流のテーマに対しても、「心理学の研究方法にどうやって乗せていくかだな」と指摘するだけで、内容についてとやかく言うことはない。それがありがたい。

 ちなみに、KY研究室の新入生は私一人。本学では、大学院生用の机はないのだが、研究室にたまたま1台あるマックを今は使う人がいないので、マックユーザーの私は、自然にその机を独占的に使える結果になっている。自分専用のパソコンがあれば、空き時間は研究室で過ごせる。

 それやこれやで、私にとって研究室は、今やたいへん居心地の良い場所なのである。

1997年9月

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