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  • 執筆者の写真教育エジソン

人生はセルフコントロール(離婚の事情)

更新日:2020年9月27日


 12年間暮らした妻と、この夏に別れた。親弟妹以外には、一切そぶりも見せず、友人・知人には、ことが済んでから、転居通知の形で一斉に事実を知らせた。

 突然のことで、だいぶ波紋を広げてしまったようだ。特に、夫婦同士でつき合いのあった親友たちは、まさか君たち夫婦が……、よりによって……と□をそろえた。

 確かに、しばしば羨まれるほど仲のよい夫婦だった。蜜月時代のことではない。結婚して3年くらいはむしろ互いの気持ちがすれ違い、傷つけ合うことの方が多いくらいだった。しかしその葛藤の中から、やがて理解し歩み寄ることを憶えて、時間をかけて築き上げてきた関係だった。

 だから振り返って、夫婦として互いに努力が足りなかったとは思っていない。

 しかし、それぞれが漠然と描く未来には、互いに相いれない完全な二者択一の問題が存在していた。結婚後6年を過ぎたころから、私はその問題に直面せざるを得なくなった。

 ずいぷんと長い間、一人で悩み続けていた記憶がある。この問題さえなければ……。毎朝、目覚めるたびにつらいと思いながら、妻の寝顔を見つめた時期があった。

 板ばさみの悩み(葛藤)には、自分の行動で解決できるのに行動を避けているため解決できないように見える「偽りの葛藤」と、行動によってもすぐには解決のつかない「真の葛藤」とがある。と、当時読んだ『人生はセルフ・コントロール』の著者W・グラッサーは書いていた。「真の葛藤」を前にしては、じたばたしても苦しみを増すだけである。では、どうしたらいいのか。

 楽な気分で「待つ」ことだ、とグラッサーは言う。待てば状況は変わり、自然に選択の道が見えてくるかもしれない。相手を変えようと、躍起になってはいけない。

 私は、そのことばに勇気づけられた。もう自分から悩むことはすまい。私は、二人の間の葛藤について、妻と話し合うことは続けながら、結論は急がない、という道を選んだ。

 おかげでその後の数年間、私たち夫婦は、「真の葛藤」を抱えつつも、平和に過ごすことができた。

 そして、子どもが生まれた。しかし、そこに至るまでの間には、私の不用意なことばで妻を傷つけたこともあった。妻は、自分の人生が望まない方向へ歪められていくという思いが、次第に募っていったようである。

 妻が一人で生きていくという決心を告げたとき、私には既に、そのことを受け入れる覚悟はできていた。

 私は、3歳になった息子を連れて、埼玉に住む親の元に移った。息子はすぐ新しい生活に慣れ、元気に保育園へ通い始めた。彼の中では、これは長い休暇で、帰っていく家と母親は、元のままあり続けているらしい。

 妻は一人でアパートを借り、アルバイトを始めた。自由は手にしたが、決して意気揚々とはしていない。それが気がかりである。

1997年12月

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