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3歳の息子と早朝の散歩

  • 執筆者の写真: 教育エジソン
    教育エジソン
  • 1998年5月15日
  • 読了時間: 3分

 夜間勤務の定時制教師は世を忍ぶ仮の姿で、実は私は、根っからの朝型人間である。高校時代は毎朝4時に起きて勉強していたし、大学生の時も、住込みの新聞配達員を2年間やって、3時半に起きていた。現在、夜の学校に勤めていて眠くならないのは、仕事だという意識があるからである。そうでなければ、九時に寝て四時に起きるのが、自分の理想の生活パターンだと思っている。

 だから、毎晩11時近くに帰宅しても、12時前後には寝て、6時に起きる。お茶を飲み、少し目が覚めたら、瞑想をし、7時になったら、隣に寝ている3歳の息子を起こす。それが最近のパターンであった。

 しかし、ある晩早めに帰宅すると、私たちの寝室のある2階から、疲れきった顔で母が降りてきて、「Hちゃん(息子の名)、今ようやく寝たのよ」。そして、もう風呂に入るのもおっくうだと、寝室に入ってしまった。

 私が仕事に行っている間、息子の面倒は全面的に母が見ている。息子が最近なかなか寝つかないので、その間添い寝をする母の負担は大きい。保育園では昼寝をさせるので、朝7時まで寝ると、睡眠が長すぎるのかもしれない。そう考えて、私と一緒に6時に起こしたりしたこともあったが、私が瞑想をしている間に、また眠ってしまうことが多く、なかなかうまく行かない。

 私自身が朝型になったのは、幼時、同居していた祖父に毎朝起こされて、犬の散歩に行く習慣があったからである。今同居している父は腰が悪く、それは期待できない。私が一緒に朝の散歩ができれば、息子のためにもいいのだが。そう漠然と考えながら、その晩は眠りに就いた。

 翌朝、ふと目がさめて時計を見ると、5時である。なぜか、息子も目を開いた。私がすかさず「Hくん、散歩に行くか? いっぱいすべり台のある公園に行って遊ぼうよ」と声を掛けると、「うん、いく」と、起きあがった。

 駅の近くに珍しい遊具のいっぱいある公園があって、休日にはたくさんの子どもが遊んでいるが、いつも通りすがりに見るだけで、寄ったことはない。朝の清澄な空気の中、私は後ろに息子を乗せて、自転車をこいだ。

 人っ子一人いない早朝の公園は、私と息子のパラダイスだった。何種類もあるすべり台を次々と試して、息子は大はしゃぎ。段々になっている広い砂場も使い放題で、たっぷり2時間は遊んだ。その晩、息子があっという間に寝ついたのは、言うまでもない。

 うまい起床のコツは、二度寝をしないことである。目が覚めたら、多少早くても起きてしまう。息子を起こすコツもそれなので、目覚めの兆しがあれば、「散歩に行こう」と言うと、息子はすぐに起きる。朝の散歩の習慣で、寝つきの問題は、あっという間に解消した。 

 問題は、私の大切な瞑想の時間を、どこで確保するかということだけである。

1998年5月


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