• 教育エジソン

12年ぶりの転勤


 大学院研修2年間のうち休職扱いの1年が終わり、本務に復帰した。と同時に、K高校定時制に異動になった。昨年の引越しで前任校へは遠距離になってしまったので、1時間かかるとはいえ、私鉄一本で通えるK高校は、願ってもない転勤先である。

 3校目の定時制高校。校長面接では、生徒が落ちついていて、勉強する雰囲気がかなりあると聞かされた。初仕事は、4月早々に行なわれる3次募集の入試準備だった。茶髪、日焼け肌でギンギンにおしゃれして願書を出しに来た女子を見て、「すげえのが来たな」と驚いている同僚がいた。それを聞いて私のほうが驚いた。定時制なら、あの程度の生徒は当たり前ではないか……。

 私は前任者の後を受けて、新2年生の担任を持つことになった。男子7名、女子4名の進級者に、転編入の男子2名、留年の女子2名を入れて、15名のクラスである。

 生徒と対面する前から、「ある1人を除いては、いいクラスですよ」と、複数の先生から聞かされた。その1人とは、20歳のSくんで、中学以来問題行動が多く、本校でも入学早々暴力事件を起こして長期の謹慎になった。ただし、その後はまじめに授業に出て、進級したという。それなら今はいいじゃないかと私などは思うが、どうも、一度貼ったレッテルにこだわる人が多いようだ。

 始業式で、担任の生徒たちと初めて顔を合わせた。小中学時代の恥ずかしいあだ名の話から始まる自己紹介は、必ず生徒の爆笑を買うので、私の十八番である。しかし、生徒たちはほとんど笑わない。少し笑いそうになっても、まわりの顔色を見て笑いを引っ込めてしまう。こんな反応は初めてだった。

 翌日から木、金と続く2日間は連絡と手続きばかりで、授業は始まらない。毎日がホームルームだったが、私は、怖気づいてしまって、必要な連絡以外の雑談をする余裕も出ない。少し歯車が狂い始めた。

 次週から授業に出るクラスにも、予期不安を持ってしまう。初授業では、まず私の爆笑自己紹介で気分を和らげ、すかさず一人一人のスピーチに持ちこむ。前任校で長年成功してきたそのパターンに、自信がなくなって来る。朝の瞑想中でも、どうしよう、と授業の不安が頭を離れなくなる。肩が凝る。

 それでも、クラスの個人面談の予定を立てて、毎日2人くらいずつ話を聞いた。一対一で話すと、素直な生徒ばかりだったが、問題のSくんは、順番の日に欠席した。先送りになったことで、かえって彼と話すことへの不安も兆し始める。まだ何も始まっていないのに、週末には、へとへとに疲れてしまった。

 明けた月曜は入学式で、火曜から授業が始まる。生半可な瞑想では、この妄想は払いきれないと悟って、入学式の日は朝から家を出てサウナへ行った。サウナ室や浴槽で自律訓練法の暗示を繰り返すと、次第に深いリラックス感が全身を満たし始める。

 目を閉じて浴槽の中にフワーと浮かびながら、「できる、できる」と唱える。やがて私の中に自信が戻ってくる。そうだよ、できるはずだ。腹の底から、そう言える気がした。

 出勤した私は、面談の中で生徒の肯定的な気持ちを引き出すための質問項目を、吟味して作成した。それからSくんに電話をかけ、翌日の面談の約束を取りつけた。

 翌日出た他の3クラスの授業は、実にスムーズだった。私のジョークに生徒たちは笑い、思いがけず生き生きとスピーチしてくれる。それで、私もますます元気が出てくる。私を癒してくれるのは、やはりこうした生徒たちの反応なのだと、今更のように感じた。

 放課後、Sくんがやって来た。はじめは構えているようだったが、私がどんどん肯定的に聞いていくと、口が回り始めた。最近は勉強のおもしろさもわかり出した。もう自覚があるから、まじめにやっている。それなのに、色眼鏡で見て注意する教員には腹が立つ、と。延々30分しゃべって帰って行った。彼は満足そうだったが、私のほうもまた一つ、生徒に癒されたと感じた時間だった。

1998年5月


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