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心が招く体の病

  • 執筆者の写真: 教育エジソン
    教育エジソン
  • 1995年1月1日
  • 読了時間: 3分

 前回、ほとほと疲れて「イメージの中の分身を全員、慰安旅行に連れ出す」という原稿を書いてまもなく、私は高熱を出し、肺炎と診断されて、2週間入院した。瞑想と水泳とうがいの習慣のおかげで風邪もほとんどひかないのが自慢だったのに、とんだ不覚である。

 おりしも、T先生の地元で行なわれる今回の教育催眠学会に授業の実践報告を控えていた。それができないことになり、関係の皆さんには、大変なご迷惑をおかけした。申しわけない。

 しかし、病気になってしまった以上、ジタバタしても仕方がないので、いさぎよく医者の言うことを聞いて療養に専念した。実際、入院中は心身ともに不調で、ものを考えることはおろか、本を読むことすらできなかった。

 病気の原因そのものは、風邪のウィルスに過ぎない。それが肺炎を起こすには、よほど体が疲れているなどの状態があったに違いないと、主治医には言われた。

 確かに、前回も書いた通り、子どもが生まれ、その分、家事負担が増え、睡眠不足が続いていたことは事実である。

 「それでいて、仕事の方も前と同じようにこなそうとすれば無理が来るに決まっている」。見舞に来てくれた教頭にも、そう言われてしまった。日頃の私を見ている同僚も、妻も同じことを言う。私もそう思った。確かに仕事のやり過ぎだ。少しさぼらねば、と。

 しかし、退院して体力と気力が回復してくるにつれ、少し考えが変わってきた。

 今にして思えば、今学期になって、私は、いつも焦りのようなものに追われていた。催眠学会の発表に完全な資料を作ろうと、こだわっていた。学校では、生徒会顧問として、文化祭の衰退傾向に何とか歯止めをかけたいとの力みがあった。

 その一方で、子育ての時間が増える。授業の準備も、担任としての仕事も、万事が後手後手に回る。その日やろうと手帳にメモした仕事が全然片づかず、翌日回しになって、どんどんたまっていく。

 そんな焦りを解消できる瞑想の習慣は、崩れている。心身をリフレヅシュする水泳も、中断していた。

こんなはずじゃない、こんなはずじゃないと、焦れば焦るほど、心と体が離れていく。そんなつらさがあった。それ以前、仕事量が多くとも、気力が充実して積極的にこなし、至って健康だった時期はいくらもあった。

 結局は、焦りから来る自分へのマイナスイメージが、たかだか風邪のウィルスに負ける結果を招いたのだと思う。

 病気をしてみて、病のために、体ばかりか心も頭も思うようにならないというつらさが身に染みた。私は再び、瞑想を活用して、心と体をプラスにコントロールし、積極的な健康に向かう道を歩み始めている。が、病める人への共感の気持ちは、決して忘れたくないと思う。

1994年11月

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