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  • 執筆者の写真教育エジソン

親の老いを支える③ 在宅介護の限界とは

更新日:2020年9月27日


 要介護で、身体障害の状態も認知症レベルも進行していく父を、どこまで家庭で介護できるのか。先が見えないまま、家族で取り組む日々だった。

 しかし、昨年の3月、妻と母がインフルエンザに罹ってしまった。幸い週末で、息子の協力を得て、家事と看病と介護に明け暮れた。

 妻は、インフルエンザの熱に耐えながら、父を臨時でショートステイに預けられないかとケアマネに電話で相談したが、予約のないのは無理だと断られた。ふだん、計画的に施設を使って回しているが、家族が急病になっても、すぐに助けてくれるところはない。

 このインフルエンザ事件は、家族介護の危うさを痛感するできごとだった。そこで、私と妻は、さまざまな人のアドバイスもあり、特別養護老人ホームについて調べ始めた。

 埼玉県の新興住宅地である私の家の近くには、新しい老人施設がたくさんある。週末を使って、妻と2人、あるいは母もいっしょに、いくつかの施設を巡り、話を聞いた。

 ある施設のベテランの男性相談員は、次のように話した。「ギリギリまで在宅介護して家族が倒れても、施設には入れません。家族が倒れるまでがんばる、ではなく、あらかじめ入所申し込みをして家でお世話し、順番が来たら在宅介護の終わりと思ってください」と。

 このことばを聞いて、私たちは、施設に申し込むことへの罪悪感を手放すことができた。前もって入所申し込みをし、それを保険として、今の介護を続けていく。それならば、父の終の棲家として、どんな所がいいか。そういう目で施設巡りを続けた。

 最近のホームは、ユニット型といって、10以内の個室を1単位としてリビングがあり、その仲間と専属のヘルパーでファミリーに過ごす形が一般的である。しかし、回ってみると、施設によって雰囲気はずいぶん違っていた。きれいだが、機械的な感じがするところもあった。

 その点で、小規模施設のS荘では、リビングの飾り付けや小物に、ユニットごとの職員と入所者の個性や手作り感があって、魅力を感じた。壁に貼られた行事の写真に、老人たちの笑顔が溢れていた。妻と2人で、ここなら、と気持ちが一致した。あとから母も連れて行ったが、やはり賛成してくれた。

 父には、2人で散歩に出かけたおりに、話をしてみた。公園の片隅で、私はベンチに座り、車椅子の父の手を握りながら話した。みんなの協力で介護をしていること、でも母も年をとり孫も成長していつまでできるかわからないこと、いつかは父には施設に入ってもらわなければならないことを。父は、黙ったまま、遠くを見ていた。そして、返事はなかった。その後も、機会をとらえて話題をふってみたが、とうとう答えはもらえなかった。

 私の弟妹にも事情を話し、日常の介護状況も見てもらって、了解の上で、S荘と他の2施設に申し込みをした。いずれも、100人、200人待ちだったが、父の判定は、どこも20番台以下だった。順位は、介護度や生活状況から総合的に判定される。父の在宅介護の困難さを、客観的にも示す順位だった。

 「その時」は、思ったよりも早く来た。昨年末、S荘ではない別の施設から入所のオファーが来た。S荘で毎月ショートステイも利用し、慣らしを進めていた私たちは、戸惑った。相談した結果、そこを断り、今年の1月からショートステイの長期利用でS荘に入り、順番待ちをすることにした。ちょうど息子の高校受験の時期で、それまでよく協力してくれた息子は、夜も勉強に専念することができた。

 それから半年。6月には順番が来て、正式入所となった。ずっとお世話になってみると、確かにS荘の職員は、好感の持てる人ばかりで、私たちの直観は正しかったと感じる。

 毎週末、面会に行くと、父はとても穏やかで、家では怒鳴りつけていた母や妻との関係も嘘のように、いつも笑って上機嫌で話している。適度な距離が、家族の本来の関係を取り戻してくれたのだ。

2010年8月

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