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  • 執筆者の写真教育エジソン

発達障害と私自身の体験

更新日:2020年9月26日


 アスペルガー症候群、ADHD、LDなどの、知的障害とは異なる発達障害について、広く知られるようになった。私の勤務先でも、緊張やこだわりが強く、能力面、人間関係面での偏りがあり、発達障害の診断を受けていたり、その疑いのある生徒は少なくない。

 先日、発達障害を持つ人たち(大人)の講演会が自宅の近所であるという情報を聞きつけ、妻と2人で参加してきた。

 地元で当事者と親の会を運営する50代の女性Yさんは、幼児期からの親との葛藤、会社勤め、結婚、子育てで苦しんできた半生を語り、数年前にアスペルガー症候群とADHDだと診断されて苦しみの原因がわかり、障害を受け入れて前向きに生きていると言う。その話しぶりは、早口で話があちこちへ飛ぶ。自ら「変な人」と言う発達障害の印象は確かにあるが、ユーモアがあって飽きさせない。

 都内で「イイトコサガシ」という当事者の会を主催する男性K氏も、熱く語る様子はとても個性的だった。彼は、自分と共通する悩みを持つ仲間のために、会話練習のワークショップを開発し、その普及に取り組んでいる。

 子どもの発達障害は話題になるが、障害自体が直るわけではないから、それを負ってどう生きていくかは、成人してからが本番なのだ。講演を聞いてそれがよくわかった。

 それにしても、発達障害について知れば知るほど、思い当たることがある。それは、私自身が発達障害だったのではないかということだ。

 小学校低学年では、自分が正しいと思うことが周りに受け入れられず、教室で泣いたり暴れたりした。高学年になっても人とうまくなじめず、運動や実技が極端に苦手で、劣等感に苦しんだ。中学で自律訓練法に出会い、すがる思いで続けたのは、自分の中に尽きない悩みがあったからだ。

 高校時代は、劣等感に苦しむ一方で仲間を軽蔑する気持ちが強く、心を許せる友達はいなかった。大学進学後も、同級生の気軽な雑談の中にうまく入れず悩んだ。その後、私の個性を受け入れてくれるサークルの仲間たちに出会い、ようやく親友と言える存在もできたが。

 新採教員時代も、生徒たちに「暗い」「なんか変」と言われていた。担任クラスとの関係が悪化し、異動を余儀なくされたのは、対人行動の偏りの行き着く先だったかもしれない。

 その27歳の挫折を、私は、自律訓練法に本格的に取り組むことで乗り越えた。その結果、私は明るくポジティブな教師に変貌し、学校の仕事に生きがいを見つけることができた。と同時に、それまでの生きづらさを乗り越えることができた。自律訓練法による瞑想を、毎朝欠かさず9年間続けた結果、私は自分の脳の働きが根本的に改善したように感じている。それ以外にも、KJ法や心理学など、自分自身の問題を解決するために試み、身につけてきたさまざまな方法論によって、私は自分の発達障害を克服してきたのだと思う。そしてその経験が、似た傾向を持つ生徒たちの教育に今、生かされている。

 幼い私は、体育でも音楽や図工でも、「ふつうならできるはず」という発想の教育に置き去りにされた実感がある。あれほど恐怖していた水泳も歌も、大人になってリラックスして取り組んだ結果、楽しめるようになった。子どものときに、もっと活動自体を楽しみ、自分にあったステップで練習していたら、あんなに苦しむことはなかったと思う。その感覚が、私の教育実践の原点である。

 人間はみんな生まれ持ったものが違っていて、それぞれに与えられた課題と向き合って生きていく。その点において人間はみな平等だと考える私は、「ふつうでない」人を分ける発想に抵抗感が強い。

 しかし、「ふつうでない」子どもを切り捨ててきたのが従来の教育だとするなら、「ふつうでない」発達障害の視点を持つことで、「ふつう」と思っている子どもにとっても、望ましい教育の姿は見えてくる。そこにこそ、私の果たすべき仕事があるのではないかと思う。

2012年6月

#子育て #瞑想イメージ自己啓発 #発達障害 #イイトコサガシ

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