• 教育エジソン

親の老いを支える① 父の介護


 私の父は、昭和3年生まれで昭三(しょうぞう)という。

 80歳。要介護4の認定を受けて、デイケアやショートステイで介護保険を目いっぱい使い、家族ぐるみで介護する日々である。

 私が3歳の息子を連れて離婚し、両親のもとに転がり込んでまもなく、父は2度目の腰の手術をした。手術自体は成功したものの、日増しに歩行は困難になり、毎日座ってテレビを見る生活だったので、母が福祉の窓口に相談し、リハビリのためデイケア施設に通うことになった。以来、当時ははしりだったその施設に、もう10年越し通っているので、父は今や、どのヘルパーさんよりも古い。

 7年前に再婚したとき、私は実家から歩いて3分のところに家を買った。息子の小学校を変えたくないのが一番で、それほど親のことを心配していたわけではない。しかし、2年も経たないうちに、母が音を上げてしまった。父を老人ホームへ入れると言ってきかない。面倒を見るのが大変というより、何かというと怒鳴る父と2人きりでの生活にほとほと疲れたようだった。

 弟妹にも連絡し、母の話を聞いてもらったりしたが、解決策は見つからない。どうしても近くに住む私たち夫婦に、何とかしなければ、という思いが募る。

 おりしも実の父を癌で亡くしたばかりの妻が、「じゅうぶん面倒を見てあげられなかった父の代わりに」と、同居を提案してくれた。

 両方の家を売り、父の障害の進行を見越して、車椅子でも生活しやすいバリアフリーの家を近所に建てた。その準備が進むさなかに、妻の母も突然逝ってしまった。そんな中で、妻は献身的に同居生活を進めてくれた。

それから早や5年。当初は伝い歩きをしていた父も、歩行器になり、動かぬ足に癇癪を起こして怒鳴りながら、食事のたびに時間をかけて歩いていたが、やがてそれも難しく、今は全面的に車椅子の生活になった。それとともに、老人性の認知症も進み、会話がトンチンカンになったり、むやみに大声や叫びに近い声を上げたりすることも多くなった。

 父の着替えなど、身の周りのことは母が面倒を見ているが、立ち座りを補助するのは不安がある。朝は、定時制勤務の私が、父の立ち座りの介助や、夜の間に濡れたオムツとベッドの後始末をする。また、食後に廊下の手すりを使って、リハビリの運動をさせる。慌しく朝の支度をして仕事に出かける妻を助けて、父の世話ができるも、夜型勤務だからだ。

 その代わり、私がいない夕食時から就寝時は、中学3年の息子が頼りになる。夕食準備と片づけを手伝いながら、父の立ち座りを介助し、夕食後は、父がすぐ寝るので、ベッド脇で立たせて、妻が下半身をきれいに清拭し、床ずれや皮膚疾患の処置をして、オムツを何重にも穿かせて寝かせる。その間、つかまり立ちも難しくなって来ている父の体を息子が支えている。それから、父をベッドに腰掛けさせ、横に寝かせるにも、ワーワー叫び声をあげながら、ようやく就寝が完了する。

 妻が看護師なので、そうした処置や介護は安心して任せられる。父の状態の進行に合わせて、うまくやっていけるのは、妻が家族として親身に介護するのはもちろん、看護師の知識と経験を発揮してくれるおかげだ。

 高校受験生の息子には、夕食後の学習時間を割かせて心苦しい面もあるが、心の糧になる体験だと信じている。実際、介護となると、息子の体はきびきびと動く。やり方も自分なりに考えていて、私に教えるほどだ。

 そんなふうに、母、妻、息子、私の連係プレーで、我が家の介護は成り立っている。

 父自身は、思うに任せぬ体に苛立ち、家族に当たっているように見える。しかし、デイケアやショートステイに、嫌がらずに行ってくれるのは、父のせめてもの家族への協力である。

 休日など、たまに私が車椅子を押して近所の公園へ連れて行くと、幼い子の遊ぶ姿を飽きずに眺め、笑っている。それが、父のもっとも穏やかな表情を見るひとときである。

2009年9月

#家族生活介護 #人生苦難死別

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