教育エジソン
高校生公開ディベート①準備の巻
ディベートというものは、今では広く知られている。一つの論題について、肯定側と否定側が決まった手順で論戦を行い、審判が勝敗を決する。ゲームであるから、論題は、「日本は夫婦別姓を制度化すべきである」とか、「シルバーシートは廃止した方がよい」など、白黒がつけがたいもので、自分が割り当てられた側に有利な情報を集めて、主張を展開し、相手側の論理の甘さを突いていく。
国語の授業にディベートを取り入れる実践もあるが、私自身はやったことがない。今回ディベートの指導をすることになったのは、偶然である。T区役所子ども課主催のイベントで、高校対抗の公開ディベートをやるという。本校の生徒会のメンバーが名乗りを上げ、参加は決まったが、指導者がいない。興味はあるので、二つ返事で引き受けた。
「『子どもの権利条約』の普及」を目的とする行事で、論題は、「日本は子ども総合省をつくるべきである」。本校は肯定側となった。
しかし、よく聞いてみると、やる気のあるのは発起人のSくんだけで、他の生徒会役員はみなそっぽを向いているらしい。Sくんは対外的な活動が好きで何にでも首を突っ込みたがるが、実力は心もとない。
もう一人、ソフトボール部のキャプテンUさんは見るからに利発そうだが、目元が優しく、好感度が高い。彼女は戦力になりそうだ。
しかし、他のメンバーが見つからない。Sくんもいよいよお手上げだというので、私が見込んだ一年生の男子二人に声をかけた。
Gくんは、低迷しがちな文化系クラブ、パソコン部と茶道部を背負って立つ。毎朝、新聞配達をしているというのも、今どき貴重で、気骨が感じられる男である。
Kくんは、授業中の姿勢がいい。指名されるまで黙っている生徒が多い中、問いかけにさっと手を挙げる。しかし、担任によれば、最近テニス部を辞めて目標を失っているという。
これでようやく5人のチームがスタートした。しかし、既に日は二週間余りしかない。初めて顔合わせをして論題について話し合ったら、全員が、子ども総合省なんて必要ないと言う。それでも肯定せざるを得ないのがディベートである。
むろんディベート経験者はいない。私からして、参考書を読み、生徒に教えて初めてわかるという状態である。会合を始めて1週間は、何の形にもならずに過ぎた。直前一週間は、放課後に毎日集まる態勢を組んだ。
しかし、なかなか全員がそろわない。元テニス部のKくんは、来れば熱心にやるが、突然学校を休む。喘息の発作が出たと言うが、あとで聞くと、不登校傾向が出ていたらしい。
2年生のNくんも、理由もなく会合に遅刻してくる。話し合いが始まっても、聞いているのかいないのか、ぜんぜん発言しない。ときどき居眠りさえしている。温厚なUさんも、ソフト部を休んで参加しているだけに、苛立ちを隠せない。気骨の反面、傲慢傾向のあるGくんは、あからさまに皮肉を言う。まとめ役のSくんは、ぜんぜん頼りにならない。
だが、インターネットで調べた資料を持ち寄り、話し合いを重ねるうちに、次第に論点が見えてきた。
現在の行政機構では、子どもの問題は、文部科学省の教育行政、厚生労働省の児童保護、内閣府の青少年健全育成策など、縦割りに分割されている。それらを統括し、根本的施策を実施する省があれば、子どもをめぐる諸事件を減らせるのではないか。
みんなの目の輝きが違ってきた。下校時刻をオーバーして議論に熱が入る。Sくんが、しみじみと言った。「肯定側でよかったですね。新しいものを考えて作っていくのは、やっぱり楽しいですよ。つぶす側よりずっといい」。
しかし、Nくんだけは変わらない。周りがやる気になるほど、むしろ疎外され不貞腐れているようにも見える。とうとう前日になっても、遅刻と居眠りはやまなかった。
2004.4.