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  • 執筆者の写真教育エジソン

偉大なり あだ名の効用


 唐突な話で恐縮だが、私の小・中学校時代のあだ名は「パンツ」であった。きわめて日常的に、そう呼ばれていた。何のことはない、苗字が国内最大手のパンメーカーと同じなので、苗字にパンをつけて、「○○パン」と呼ばれていたものが、悪友の思い付きで「ツ」がついただけのことだが、大半の級友たちはそんな由来を知らずに使っていた。そこには、親しみとともに、軽い侮蔑が含まれていたことは否めないだろう。

 さて、長じて教師となった私の自己紹介は、毎年、「パンツ」の話から始まる。まず確実に爆笑がおき、硬い教室の雰囲気が一気にほぐれる。表立って私を「パンツ」と呼ぶのは一部の生徒だけだが、確かに親しみが感じられて、そう呼ばれるのは、悪くない気分である。

 ところが、T高校に赴任してまもなく、学校のそばで、突然、「パンツ!」と大声で呼ばれた。私は驚いて辺りを見回したが、そこにいたのは生徒ではなく、何と懐かしい小学校の同級生であった。T高校の近辺が私の故郷であることは、前に書いた。

 おりしも母校T区立S小学校は、少子化に伴い50年の歴史に幕を引くという。突然の遭遇をきっかけに、閉校記念大同窓会で懐かしい顔ぶれと再会を果たすことになった。幹事の努力で、二クラス70人余の同期生のうち20数名が集まった。

 男も女も確かに老けているが、見ればそこにいるのはかつてのあいつやあの子に違いないと一目でわかる。あるいは、話しているうちにしみじみとわかって来る。彼らはみな一様に親しみを込めて私を「パンツ」と呼ぶ。それは、不思議な甘さを私の胸に喚起した。

 思えば、私の少年時代は劣等感にあえぐ日々だった。その元は、家の貧しさ、運動・音楽・絵など実技の不得意、自己表現と人づきあいの下手さの3点に要約できる。そして、全般に異質な言動が目立った。

 内面的には自意識過剰で、どうして自分だけが……という思いが強く、級友にからかわれて、よく悔し泣きをした。対等なケンカはできず、泣きながら物を投げたり、暴れたりした。からかう方が悪いとは言えるが、あまりの異常な反応に、教師も手を焼いていた。平凡で健全な少年ならば、「パンツ」という異様なあだ名が定着するはずもない。

 学年が進むにつれて、そんな私を理解してくれる友達もできたが、内面の屈折は単純ではなかった。自意識過剰と劣等感。しかし、理科、国語など一部の科目の成績だけは抜群によく、長じるにつれ、そうした浅はかな優越感にすがって、私の自意識のもつれはいっそう深刻になっていった。真の自信はどこにもない。あるのは、重い劣等感と、はかない優越感との果てしもないシーソーゲームであった。

 このシリーズも、さながら「劣等感克服記」の様相を呈しているが、そうした劣等感を乗り越えつつ、真の自信に目覚めて、自分も他人も肯定していく。その道筋そのものが、私の今までの人生であったと言って過言ではない。

 そんな私を、かつての腕白少年たちは「パンツは頑固だったよなあ」と懐かしみ、元美少女たちは「でも、パンツは自分の世界をしっかり持ってたから」とかばう。そこには、偏屈な少年をも仲間の一員として受け入れてくれていた、牧歌的な小学校の風景が現出する。

 考えてみれば、劣等感が強く、弱い自我を守るために自意識と優越感の砦に閉じこもる少年は、さぞかし鼻持ちならない存在だったに違いない。しかし、確かに小・中学校時代には、そんな私にも共に過ごす仲間はあり、それなりの居場所はあった。

 中学では、同じ小学校出身の仲間は少なかったが、意地悪な級友の一言で、「パンツ」のあだ名は引き継がれた。それは「最大の屈辱」と、当時の私はとらえていたが、もしかしたら「パンツ」の呼び名のおかげで、私は仲間から指弾されずに済んだのかもしれない。

 完全に孤独で、受験勉強に活路を見出し、級友たちを軽蔑したまま卒業して行った高校時代を思ってみると、その推測はむしろ確信に近くなってくる。

 懐かしい仲間たちから口々に「パンツ」と呼ばれることの不思議な快感に身を委ねながら、私は、最初に「○○パン」に「ツ」をつけた友の偉大な発想に、ひそかに感謝を捧げた。

20012.4.

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