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  • 執筆者の写真教育エジソン

学者を目指すよりも(私のアイデンティティ)


 (1998年)7月に、北海道教育大学函館校で教育心理学会総会があり、現在の研究の一部を発表してきた。初めて参加する大規模な学会だった。今まで文献でしか知らなかった著名な先生方の実物を拝むことができ、発表に関連して何人かの新たな知り合いもできた。日本で教育心理学に携わる主だった人々が集まったのだと考えると、この世界は広いとも言えるし、案外狭いとも感じてしまう。

 8月には、筑波大学の茗荷谷校舎で日本読書学会総会があった。こちらは小さな学会だが、国語学と心理学にまたがった学際的な学会で、学会誌『読書科学』の論文には、私の参考文献として重要なものが多い。

 大学院に入り、学者の世界を垣間見るようになって、この世界の生存競争というものも、多少は見えてきた。ここでは、論文を書いて権威ある学術雑誌に載せる、ということが何より重要であるようだ。それにプラス、人脈が絡んでくる。

 博士課程に進学して、大学教員を目指す人が身の回りにも何人かいるが、女性が多い。その中の一人が、私にも学術論文を書き続けるよう、熱心に勧めてくれる。彼女自身、数年勤めた高校教員を辞めて心理学の道を選んだ。現在は博士課程に進んでいるが、年齢的にはぎりぎりのところで、後には退けずがんばっている。そんな立場から、私の将来も案じてくれるのだろう。先日、「ご自分の仕事をもっと広げていく地位を目指してほしい。そういう年齢ですよ」と言われた。

 確かに、ここ数年は大学院を目標にイメージし続けてきたが、それが実現してしまうと、その先の将来像はあいまいである。いつまでも若い気でいるが、40歳になった。教員派遣の仲間で私と同い年の小学校教員I氏が、教頭試験を受けるべきかという悩みを折に触れて吐露するのを、他人事のように聞いていた私だが、「そういう年齢」には違いない。

 20代から30代にかけて、どう生きるべきかという点では、ずいぶんと考えた。私は、何かを作ることが好きである。それが一番熱中できて、人の役に立てばうれしい。だから、人が学習の場面で、できないことをできるようになって、自分の可能性に目覚めていく、そのために役立つ方法や道具を、工夫して作り出す。それが私のやりたいことである。その実感は、ここ10年、揺らいでいない。

 心理学の研究は、その第一目的に役立つ限りにおいて意味があるので、研究者になりたいとは思わない。始めた以上、長いインターバルで論文を書き続けて行こうと思ってはいるが、学界で認められることにエネルギーを注ぎ、本当にやりたい仕事が後回しになったら、一生の悔いである。

 必要なのは、やりたい仕事を実現している自分の具体的なイメージである。修士論文に取り組みながら、将来像をじっくり考え、鮮明に描き出したいと思っている。

1998.8.


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