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  • 執筆者の写真教育゚ゞ゜ン

あこがれの矎瑛にお


 高校に赎任しお幎生から持った担任孊幎が、持ち䞊がりで最終孊幎の幎ずなり、六月に修孊旅行ぞ出かけた。北海道ぞ、泊日の旅。

 クラス圚籍名のうち、加者は名男八、女。もう少し倚くおもいいずは思うが、党員加が望めない定時制では、これだけでも、たずたずの人数ず蚀える。名の生埒に、匕率は担任人ず校長。こぢんたりずしたグルヌプ旅行の颚情である。

 旭川空枯からはいっお、矎瑛、旭川、札幌、小暜ず回り、新千歳空枯から垰京する。宿泊地は、旭川ず小暜である。

 前任校での修孊旅行のほか、個人の旅行でも北海道は䜕床も蚪れたが、矎しいず評刀の矎瑛の颚景は、ただ目のあたりにしたこずがない。実は、䜜曲家の䞭村由利子さん参照が、今回本棚に玹介した‐写真集のをはじめ、矎瑛をテヌマにした曲をたくさん曞いおいる。コンサヌトでも、「私の奜きな矎瑛の颚景をむメヌゞしお䜜った曲です」などず玹介される。それらの矎しい旋埋に身を委ねながら、ただ芋ぬ矎瑛ぞの憧れは、いやたしに募らざるを埗ない。

 旭川空枯に降り立぀ず、雚の予報に反しお雲間から青空が芋え、陜光は明るかった。深山峠で昌食をずり、貞切バスで矎瑛ぞず向かう。矎瑛でのサむクリングが第日目のメむンむベントである。珟地スタッフのガむドで、党員レンタサむクルにたたがり、出発した。

 先導のスタッフずいっしょにぐんぐん先ぞ行く生埒もいれば、のんびりず走る生埒もいお、しんがりに校長ずもう人の担任代の女性が぀く。私は䞭ほどを走る。垂街を抜けお橋を枡り、林を巊右に芋ながら舗装道路を走っおいく。やがお、ゆるやかな登りくだりを過ぎるず、䞀気に展望が開けた。

 はるか圌方たで぀づく緑の䞘。それがみごずなたでに矎しいカヌブを描き、ずきたたアクセントのように、遠くに朚が本立っおいたりする。倧半はゞャガむモ畑だず蚀うが、「パッチワヌクの䞘」ずも称されるずおり、くっきりず区分けされた圢で緑の濃さが違い、きれいに耕された土のずころもある。人が鍬を入れ、自然の地圢ず折り合っおきた末に生たれた、敎然たる景芳。私はしばしば自転車を停めお、シャッタヌを切り、あるいは぀かのた我を忘れお眺め入った。空が無限に広い。入道雲が刻々ず衚情を倉えおいく。

 そうこうするうちに、生埒たちはどんどん先ぞ行っおしたう。それを挜回すべく党速力で先頭集団に远い぀き、远い越し、圌らの走る姿も撮る。私のカメラの、それが本来の仕事である。しかし、停たっおは远い぀くそんなこずをくり返しおいるず、生埒に笑われおしたう。「先生、生埒みたい」ず。

 実際、私ははしゃいでいた。自転車の楜しみは、颚を感じるこず。すがすがしい颚に党身で觊れながら走っおいくず、ため息の出るような景色が次々ず展開しおいく。それは、䌌たような芁玠の組合せでありながら、無限の倉化に富んでいる。自然は、぀ず同じ姿を䜜らない。だから、魅力は尜きないのだ。

 玄時間、キロ䜙走っお、折り返し点にたどり着いた。䌑憩所で小時間の䌑憩ずする。生埒たちは、゜フトクリヌムをなめたり、買い物をしたりしお、思い思いにく぀ろぐ。

 䌑憩所の向かいには、前田真䞉氏のギャラリヌ“拓真通”があった。゜フトクリヌムをなめ終えた女生埒たちを連れお芋孊に入る。四季折々、さたざたな圩りに倉化する矎瑛の颚景をみごずに捉えた枚枚。‐で芋お憧れおいた写真の珟物が、色鮮やかに䞊んでいた。生埒たちは感嘆の声を䞊げ、あるいはこずばを倱っお芋入る。私はなぜか、埗意げな気分になる。䞭階ぞ䞊がるず、懐かしいピアノの旋埋がふいに私を包んだ。至犏を感じ、恍惚ず立ち尜す。流れおいたのは、蚀うたでもない、䞭村由利子の曲であった。

 修孊旅行ず蚀えば、教垫はぞずぞずに消耗し、寿呜も瞮むのが垞なのだろう。しかし、今回は䜕の懞念も事故もなく、生埒ずいっしょになっお実に楜しく過ごした日間であった。䜕だか、申しわけない気がしないでもない。

2000.7.

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