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古い自分を越えていく力 (40代の恋の顛末③)

  • 執筆者の写真: 教育エジソン
    教育エジソン
  • 2001年3月1日
  • 読了時間: 4分

更新日:2020年9月27日


 現在私が住んでいるのは、埼玉県入間郡大井町(現ふじみ野市)というところで、池袋から東武東上線で川越のいくつか手前になる。地理的には所沢や狭山にも近く、少し車を走らせれば、たちまち、鬱蒼とした林やのどかな田園風景が広がる。最近購入したばかりのカローラ・スパシオという、ふくらみのある流線型ボディが銀色に輝く愛車を駆って、そのあたりを走り回るのが、近ごろの楽しみである。

 新しいのは、車ばかりではない。実は運転免許自体、この2月に取得したばかりだ。

 私は、鉄道や自転車に愛着が強く、環境への問題意識などからも、車社会というものにずっと疑問を持ちつづけてきた。とりわけ、日常化した交通事故の悲惨さと理不尽さに、強い嫌悪感があった(本棚参照)。免許を取らないことが、車に依存しすぎた社会への批判の態度表明であると思っていた。

 しかし、それが長年続くと、自分が圧倒的少数派であることから、むしろコンプレックスの裏返しとして、自説に固執する、という頑なな態度になってきていた面がある。

 おりしも一年ほど前に、親友たちが相次いで新車を購入し、車の話で盛りあがった。話の埒外に置かれていた私も、車に乗ることをさんざん勧められた。世界が広がるからと言われ、一時はその気になって、夏休みには教習所に通おうと考えていた。しかし、ほとぼりが冷めるとまたおっくうになってしまい、それを正当化するために、「やっぱり、自分は車社会には反対だ」と、再び自説の殻に閉じこもる、という状態に陥っていた。

 ちょうどそのころのことである。私が十数年ぶりに、「ときめく思い」の虜になってしまったのは。

 その思いは、いろいろな面で私に勇気とエネルギーを与えてくれたのだが、とくにその時期、自分にとっては大きな転換となる決断を2つ、苦もなくしてしまうことができた。

 1つは、全日制への異動希望を出したこと。

 定時制の統廃合計画に入っている本校は、平成12年度から生徒募集がなくなり、順次学年が減って行く。そのため、教員数も削減され、誰かが出なければならない。その異動に、私は自ら志願した。

 K高校にはまだ3年目だが、赴任早々2年から担任したクラスが、これで卒業となる。もう1年いれば、担任のない悠々自適な状態でゆっくり研究もできるし、新採以来初めて全日制高校に転任するための心の準備もできる。前はそう考えていたのだが、見方を変えれば、もう1年残っても、自分のためには楽だが、大した仕事ができるわけでもない。

 それよりも、ここでの自分の使命は終わったときっぱり見極めて、新しい学校で新しい課題に積極的にチャレンジしたい。とくに今度こそ全日制で……、という気持ちになれた。

 そして、もうひとつの決断が、車の免許を取るべく教習所に通い始めたことなのである。

 これといった考えはなかったのだが、「ときめく思い」からハイになっている心理状態の中、全日制に異動するともう教習所に通う暇はなくなる、というせっぱ詰まった状況に後押しされて、いつの間にかハードルを越え、半ば衝動的に教習所の手続きをしてしまった。

 通い始めてみると、これがおもしろくて、「楽しい、楽しい」と彼女にメールで教習日記を書き送った。ベテラン・ドライバーである彼女は、昔、教習所で味わった苦労のあれこれを昨日のことのように書いて、励ましてくれた。ますますやる気が出て、車を買う気にもすぐなってしまった。

 そんなふうで、彼女への思いが源泉となって、古い自分を乗り越えて行こうとする不思議な衝動を、実感し続けた日々だった。

 しかし、私の思いが成就する運命にないことは、前にも書いた通りである。ほぼ三ヶ月間、彼女と頻繁にメールのやり取りをしながら淡い夢を見つづけた後で、私はもう一度、彼女と本音で話し合う機会を持った。

 彼女の態度は一貫していた。私に思わせぶりをすることは一切なく、自分の心が別の人にあることを明言した上で、私の思いを誠実に受けとめて、私との間の友情をいかに大切に思っているかを話してくれた。2人はこのうえなく打ち解けて、何もかも語り合った。

 そんな彼女への感謝を込めて、私は、自分の思いに決着をつけることを約束した。今はそれが、いかに困難に思えようとも。

2001.3.

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